『母の日』がアメリカ合衆国ではじまったのは、1908年のことでした。
母の日ができたことを知ったワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』は、翌1909年「母の日があって父の日が無いのはおかしい。父の日もつくって下さい。」と、『牧師協会』へ嘆願したのです。
それには深い理由があったのでした…。
ドット夫人が小さい頃、お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。
軍隊での階級は“Sergeant”といいますから日本でいう「軍曹」でした。
1861年4月12日南北戦争がおこってしまいました。アメリカの悲劇の時代が始まったのです。
南北戦争が終わったのは1865年4月9日でした。
「ドット夫人」のお母さんは、夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、女手一つで働きながら一家を支えてきました。
その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。
そこからお父さんの苦闘が始まったのです。
残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。
6人の子供達を男手一つで育てるのですから、さぞ大変だったことでしょう。
お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。
今日のような豊かなアメリカではなく、悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、その苦労は大変だったでしょう。
6人兄弟の末っ子の女の子が「父の日」を申請した「ドット夫人」なのです。
「父の日」をつくって下さい。
と末娘が嘆願してから7年後、1916年に『父の日』が認知されるようになりました。
アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。
そして、1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。
『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。
ドット夫人が父の墓前に白いバラを供えたことから、アメリカではお父さんへバラを贈るのが習わしだったそうです。
その後、「父の日」は日本へも伝わり、1980年代ごろから広がっていきました。
1981年に設立された「FDC日本ファーザーズ・デイ委員会」では、父の日には「黄色いリボン」を送ろうという活動をしています。
「黄色」は古来、イギリスで身を守る色といわれ、アメリカに伝わると「愛する人の無事を願う黄色いリボン」として定着しました。
そこで、お父さんへの感謝の気持ちを、黄色いリボンに込めて伝えましょうという活動が始められました。
だそうです。
父が側にいようがいまいと健在かどうかとかではなく、想いや気持ちを込めることが大事です。
父になり感じる父の気持ち。
こういう想いで見守ってくれてたのかな?
こういう気持ちで接してくれていたのかな?
だからかぁ・・・
なんて感じられる日が来たことに感謝します。
素直な息子でいたいなぁと。
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痛みとしびれの専門院 メディカル整体 泰然
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