国恩祭2023.5.5

国恩祭2023.5.5

的形で祭りが行われているので、調べてみました。

国恩祭とは、旧加古郡と旧印南郡の22社が、この両郡に祀る天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)を奉斎し、全神職が奉仕する大祭で、毎年両郡から1社づつ輪番で行う祭典のことをいいます。

以下気になる方は読んでみてください!

 ◎国恩祭の始まり

 瀬戸内海に面し気候も温暖なここ東播磨地方では、早くから人が住み始め農耕文化の発展とともに平和な暮らしを営んでいました。(当社氏子である岸地区では「岸遺跡」から縄文時代後期の土器が発見されています。)

 ところが江戸幕末の不穏な世情の中、明治維新の30余年前、天保3年(1832年)大雨、洪水による凶作の年、「天保の大飢饉」といわれるこの年には人々の生活が困窮し、加古川では一揆が勃発するなど人心は荒廃しました。

 このようなとき、両郡の神職が集い、人々の心を鎮め平和と繁栄を願って天保4年に祓講という一種の組合組織を作って臨時の祭典を行ったのが国恩祭の始まりといわれています。

 以後毎年両郡から1社ずつ臨時大祭を斎行することとしたのです。

 ◎国恩祭とは

 国恩の「国」とは、国家という意味と同時に「郷土」という意味でもあり、「恩」とは地域の繁栄と安泰を願うこと。これを祀るのが国恩祭であります。

 ◎加盟神社の輪番

 旧加古郡、旧印南郡は東播磨の瀬戸内海沿岸に位置し、現在の加古川市、高砂市、加古郡稲美町、加古郡播磨町全域と姫路市、明石市の一部にまたがっていました。兵庫県神社庁の支部は、行政の区域に拘わらず、国恩祭の伝統に基づき、かつてのまま加古と伊奈美(「いなみ」と読みます。)の支部を構成しています。

 現在は22社が加盟し、11社ずつ分かれて輪番で奉仕し、連綿と引き継がれています。

 氏子は、この11年に1度巡ってくる祭典に備え、社殿を修復し境内を整備して祭器を整え、祭どころの神社では屋台の練りだし等も行われます。

輪番で今年は的形でやっていました。

祭りを見るのが好きな方、見ない方、自分のところ以外は興味のない方、大嫌いな方と様々です。

晩秋秋祭りだけじゃないんですね。

勉強になりました。

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